「ここのパンケーキが気になるの!」 と同僚に手渡された本の表紙には大きく「九州バカ」。本のタイトルで、バカ…?と少し動揺を隠しきれません。
「九州パンケーキ」というメディアでも話題のパンケーキをつくっている方、という基礎知識だけで本を読み進めたのですが、読み終わる頃には本の虜に。熱く、まっすぐな思いが本を読んだだけでも胸に迫ります。 この本の著者、村岡浩司さんはとにかく地元・九州を愛しています。九州の原材料だけを使ったパンケーキづくり、宮崎の廃校を買ってリノベーションしたオフィス。更にそこをコアワーキングスペースのような施設にしてしまったというのです。とにかく熱く、九州愛に満ち溢れています。 「この本を書いた人に話を聞きたい!」と、THE BAKE MAGAZINE編集部は著者である村岡浩司さんに会いに行くこととなりました。行き先はもちろん、九州です。
ヤシの木を横目に宮崎駅からレンタカーで30分、車を走らせてたどり着いたのは廃校をリノベーションしてつくられたMUKASA-HUB(ムサカハブ)。出迎えてくれたのは、そこに本社を据える有限会社一平の代表取締役でありMUKASA-HUBの代表、村岡浩司さん。
「よく来たね!」と笑顔で出迎えてくれる村岡さんのバックには、少し懐かしく感じるような校舎の景色。
廃校をリノベーションしてつくったこの場所、外観は本当に学校のまま…!中に入れば新鮮な景色が広がります。キッチンになった保健室、学生時代を思い出す廊下。
「九州バカ」ってなんですか…? 地域とは? 地域にこだわる理由って?
第2弾となるTHE BAKE MAGAZINEの連載企画「食とエリアのリサーチレポート」は、九州・宮崎からお送りします。
第1弾の記事はこちら
村岡さんは「九州パンケーキ」という、九州の原材料だけでつくったパンケーキミックスを手がけています。「第1回地揚もん国民大賞」金賞の他にも数々の賞を受賞している、人気の商品です。
また、タリーズコーヒーのフランチャイズ店舗を日本に初めてオープンさせたり、お父様が創業された「一平寿し」の経営を引き継いだり、CORNERというカフェをオープンさせたりと、多種多様な飲食店を経営されている村岡さん。 しかし何よりも気になるのは、生みの親である九州パンケーキのこと。取材で根掘り葉掘り伺ってきました!
パンケーキ、本当に美味しかったです!でも九州の中だけで材料を集めて商品開発をしていくって、大変なことだと思います。それでも九州というエリアにこだわるのは、どうしてなのでしょうか?
村岡:喜んでいただけてよかったです! 九州にこだわる理由…たとえば、ITの仕事をしている人がシリコンバレーにオフィスがあって、僕らのように食の仕事をしている仲間がセバスチャンでレストランを始めました、と聞けば何となく羨ましいじゃないですか。
はい、なんだかカッコイイです(笑)。
村岡:でも僕らが海外に行って、「九州でお店をしています」「九州から来ました」と言っても、世界では無名の場所です。僕はそれを変えたい。いつか、九州って土地に住んでいることが羨ましいと思ってもらえる世界を実現したいですね。
確かに……京都などと違って、海外の人には少しイメージしにくいかもしれないですね。でもどうして、ここ「宮崎」ではなく「九州」なのでしょう?
村岡:例えば、昔の人は海外があるって知らなかったでしょう。それと一緒で、宮崎に住んでいると、ここが大きな1つの島だということに気づかない。ローカルに住むということは素敵なことだけど、でも僕は、ビジネスの面では自分自身の抽象度を上げて物事を広く見ることが大事だと思っています。地域全体を俯瞰して、「宮崎」ではなく「九州」全域をフィールドと捉えたいんですよね。
たしかに海外の方からの視点だとひとつの県よりも、ひとつの島として捉えられるかもしれないですね。
村岡:はい。そこで「1つの九州」を表現したいと思えるようになったんですが、別の理由もあります。宮崎では、2010年に発生した家畜伝染病「口蹄疫(こうていえき)」という厄災に続き、翌年の2011年には新燃岳の噴火が発生しました。そして追い討ちをかけるように鳥インフルエンザも発生……当然お客さまの足は、飲食店から遠ざかってしまった。あの頃の宮崎は、経済的空白地だったと思います。 唯一明るい話題としては、2011年3月11日の九州新幹線の開通。九州では新幹線が開通することに。これを機に九州全体が盛り上がるから、宮崎ももう一度頑張ろう!と思っていました。 https://www.youtube.com/watch?v=B9jCU9ok_MI
そこで東日本大震災が起こってしまって……。数年たってからですが、そのときに九州新幹線のCMがテレビでは流せなくなってしまった、とネットかなにかで話題になっていたのを覚えています。
村岡:もちろんあの時は、日本全体が東北のためにできることをと動きましたし、宮崎に住むわたしたちもそうでした。 天災は避けられない。でもそれを言い訳に事業から身を引くわけにもいかない。自然は時に残酷なものだなと。「もう一度口蹄疫が発生したらもう立ち直れないんじゃないか」と悩んだり、このまま地元だけで商売を続けていては生きていけないんじゃないかと思ったりしました。 いろいろなことが重なって、「九州まるっとまとめてみるのはどうだろう?」と。もともと連帯意識の強いのが九州です。どこかの県がピンチに陥っても、自然に助け合うことができるルートがあれば大丈夫だ!と強く思うようになったんです。
とても大変だったのですね…。村岡さんの目指す九州や思いを感じます。
村岡:それと同時に、パンケーキという商材に出会いました。ちょうど東京でもパンケーキハウスが連日の大行列でブームになっていた時期にも重なります。ハワイに行った時にふと立ち寄ったオーガニックスーパーで「10 Grains Pancake Mix」つまり、10種類の雑穀からできたパンケーキというのを見つけて、電気に打たれたような気持ちになりました(笑)。九州は7県だから、このコンセプト、つまり「7 Grains」でいけるんじゃないか…?と思ったのが始まりでしたね。
パンケーキにしようという決め手は、ハワイでの偶然の出来事からだったんですね!
村岡: そうなんです。でも本当にパンケーキに出会えてよかったなと。 もちろん開発は簡単ではなく、何度も九州各地の産地へ足を運びました。1年半かけて開発してローンチしましたが、そのあと1年くらいは全く売れなかった。でもその一連のプロセスの中で明確に「九州ブランドの可能性」を感じました。 素材の小麦も雑穀も、元々は地域にはじめからあるものです。それを新しい発想で掛け合わせることで全く新しい商品が生まれました。九州の特徴は食物多様性、つまりあらゆる品種のあらゆる素材が手に入ること。これらを自由自在に組み合わせて、ここ「九州」でしか作れないものができたら面白いかもしれないと気付きはじめました。
たしかに、パンケーキはある意味どこにでもあるもの。それが「九州でしか作れない商品」だと、わたしたちも魅力に感じます。
村岡:九州を「世界が憧れる場所」にしたいという気持ちも、九州パンケーキの開発をしている中で芽生えた気持ちです。開発をしていく中で更に九州への思いが強まったと言っても過言ではありません。九州パンケーキ、と商品名に「九州」とわかりやすく入れているのも、そんな気持ちの現れなのかもしれません。
村岡さんが「地域」「地元」という言葉をよく使われているのが本当に印象的で。
村岡:確かに、欠かせないワードかもしれませんね。 地域の概念ってひとそれぞれ違うと思うんです。ぼくが30代のときは”地元”は宮崎でしかなかったけど、今は九州全体を”地元”と捉えています。でも成長していくと日本そのものがローカルになっていくかもしれないし、それは会社の規模とか事業内容で変わってくるとは思います。僕らとBAKEのちがいって、僕は「世界が憧れる九州」をつくりたいと思っているけれども、BAKEは「世界が憧れる日本」をつくりたいって、きっとそういう感じなのかって。
そうですね。BAKEは、北海道を起点としたものづくりから始まったのですが、海外進出するにつれて「日本のものづくり」という意識が色濃くなってきました。
ですがグローバルを相手に展開していくと、もう「メイドインジャパン」だけじゃ耐えきれなくなる、という現実問題もあります。だから今のBAKEは、基本は日本ベースで、よりおいしいものがあるならグローバルに原材料を調達しようとしています。 BAKEのお菓子作りの起点は常に、日本にありますね。
村岡:材料の調達という面だけ見ると、僕らとBAKEは真逆にいるように見える。けれどもっと深い、「起点を日本にする」という思いを持っているところから、なんだかシンパシーのようなものを感じますね。
そこからどうして本社機能も果たし、街のひとたちが利用しやすいコワーキングスペースでもあるMUKASA-HUBができたんでしょう…?
村岡:九州パンケーキが完成したときも、「いいものができた!」という予感はありました。置いてもらったスーパーの反響もいいし、一度食べた方はリピートしてくださるし。 そんな頃、僕らはまだ一平寿しの店舗の2階をオフィスとして使っていたんですよね。
村岡:倉庫もないから、配送の手続きもミーティングも、全部そこで。広いとは呼べない空間でしてね……もちろん夢への第一歩がそこにあったのだけど、僕の想い描いている世界観とは違いました。豊かな大地の広がる中で、九州パンケーキがつくりだす時間や思い出までも表現したかったんです。商品は順調に売れていきましたが、売れるほど、自分の理想と現場の環境が解離していった感じがありまして……。あたらしいオフィスを用意したいと思い始めたんです。
なるほど、でもそこから廃校はなんだか……唐突ですね(笑)。
村岡:そんな中、たまたま学校が売りに出ると聞きつけて、1人で下見に来たんです。そしたらちょうど校舎に夕日が差していて……一瞬で買おうと決めました。
すごい!会社のメンバーは驚かなかったですか?
村岡:もちろん驚かれましたよ。でも僕がなんとかする、責任はとるからって強引に(笑)。ですが、本当にそうしてよかったと思っています。実現したい大きな世界があるなら、小さいところからしっかりつくっていかなきゃいけない。九州パンケーキの世界観形成も担う場所が、このオフィスですから。
いろんな会社のオフィスがあったり、地域の人が利用していたり。いろいろなところから集まって夢が溢れているMUKASA-HUBは、まさに九州パンケーキを体現するようなオフィスですね。ますますファンになりました…!
村岡:ファンだと言ってくれてとても嬉しいです。僕もBAKEの一ファンだからね。実は先日東京にいったときに、BAKEの展開するブランドをくまなく巡って、お菓子をたくさん食べたんですよ。僕はスイートポテトパイのPOGGがお気に入りなのですが……BAKEの商品は今、本当にいろんなところで食べられるようになりましたよね。
ありがとうございます。九州にも今5店舗ありますが、新しい地域に出店する際は、受け入れていただけるかどうか、本当に心配なんですよ。 実際のところどうですか、地域のコミュニティに新参者が現れる時って。
村岡:僕は本当に地元に愛されたいという「想い」や、その土地に根付いていきたいっている「覚悟」があればウェルカムだなって思うんです。そもそも僕が「地元創生」と言っているのは、「地方創生」という言葉の主語が東京だと思っていて、それに違和感があるからなのかな…。
地方ではなく「地元」ですね。
村岡:そうですね。今、「地方創生」っていう言葉をたくさん目にしますし、それに関わるビジネスもたくさんあります。しかし、東京の人たちに「地方を助けてあげる」なんて思って欲しくないし、もちろん宮崎の人たちも「何とかしてもらう」なんて思っちゃいけない。まずは地元が頑張ること。そして、そこに共感の輪が広がりながら、寄り添うように応援者が増えていくんだろうと思います。 どちらもWINNER(勝者)になれるような関係性。地域が真に豊かさを感じられるような未来、地元創生を実現していきたいんです。
東京と地方の大きな違いとしては、関わる世代の幅が自ずと広くなる点があるかと思うのですが……多種多様な周囲の方を巻き込んでいくには、なにか心得のようなものがあるのでしょうか?
村岡:そうですね。昔、商店街の活性化活動を任されていたのですが、当時30代で、その中ではまだまだ若手でした。やっぱり重鎮の意見は尊重されますし、そういう意味では、「若手のリーダー」という言葉には違和感を持っていました。やりたいことがあっても、なかなか分かってもらえないこともありました。 「こういうことを、やりたいんです!」と言っても、「そんなの昔やったことがあるから無駄でしょう」とか、「それをしてどうなるの?」とか。 それで最初は、「なんで分かってもらえなんだろう。頭の固い人たちだ。」と愚痴ばかり言っていたような気がします。ですが、いつの頃からか「分かってもらえないっていうのは、きちんと伝わってないからだ」「僕の伝え方や情熱が足りなかった」って考え方に変えたんです。 しっかりとした覚悟があれば、価値観や世代が違っても、伝わるはずなんです。「なにがあっても僕が最後までやり遂げます!」という覚悟のようなものがないと、地域のひとたちも納得してくれないということを、商店街やまちづくりから学びました。
パンケーキを開発して、地域と一緒に盛り上げる。村岡さんにはそういう二つの側面があって、お互いがお互いを輝かせている感じがします。
村岡:表は食のクリエイター、裏が地元創生の活動家、という感じでやっていますね。どっちかがなくなるとダメで、意味がない。両方で一流になれたら、と思っています。それが、両方にとって良い人格になるというか。 重要なのは、僕たちのパンケーキミックスがどれだけスーパーに並ぶかってことよりも、九州パンケーキミックスがあったことで新しくコミュニティが生まれたり、街が元気になったりすること。もしも、一つのプロダクトがまちづくりの在り方も変えていくようなことが起こったら、それってミラクルじゃないですか?
ただ商品の売り上げを伸ばすだけではなく、確たる理念があって素敵です。
村岡:僕は昔、理念というよりも、勝手な理想ばかり掲げていたんです。だから失敗もたくさんしました。 今の僕の理念は、「世界が憧れる九州をつくること」。これは一人だけでは実現できない大きな目標ですから、自分自身はその中の一人のプレイヤーとして多くの仲間たちと繋がっていきたい。 自分が思う「地域のために、なにかできるか」っていうのを人生の中で証明したいんです。そのためには経済を軸として持っていないといけない。経済と理念というのが僕の両軸であり、表と裏だと思います。 経済が食のクリエイターで、理想が地元創生の活動家。2つあって、はじめて1つですね。
パンケーキが成功されて、新しくパンのブランド、九パンを出したり、著書を出版されたり………そして、これからの展望が気になります。
村岡:たとえばここ、MUKASA-HUBはもっと大きなコミュニティにしていきたいですね。運動場部分に小屋みたいなものも建てて、宿泊所にしたりオフィスにしたり。「ローカルベンチャータウン」なるものを作りたいなって。
ローカルベンチャータウン?
村岡:東京でスタートアップをしていくとはちょっと違った感じで、スモールビジネスで起業して長くやっていきたい会社の集いの場、みたいなものかな。ここにくれば起業の際にぶち当たる様々な課題が解決できて、あらゆるサービスを生み出すことができる!という場をつくりたい。 すでに、ここには優秀なデザイナー集団がいたり、プロカメラマンがいたり、ドローンの会社があったり、映像制作のプロがいたりと、様々なクリエイティブの悩みを解決するソリューションが揃っています。新しい事業を起こそうと思っても、そんなプロに出会うことが難しかったりしますよね。「ここに来ればなんでも解決するかもしれない」と思えるような場所。それが僕の思う、ローカルベンチャータウンの特徴の1つかな。
自社だけではなくて、みんなにとって、愛着のある場所を作っていきたい、ということですね。商品だけじゃなくて、地域づくりまで関わっていかれるのは、村岡さんらしい働き方なんですね。
村岡:僕は行政の人間でもなければ政治家でもない。プロじゃないからこそ提案できるアイデアだってあると思うし、そのおもしろさを、九州パンケーキをやっている僕が提言できたらユニークじゃないですか。ちょっと大きいことを言うかも知れないけど、「九州全体を面白くしていく」それが僕の使命かもしれないな、って。
(編集後記) 村岡さんの著書の中にこのような一節があります。 ”心が折れそうになる瞬間は何度もやってくる。それでも前へ進むことをやめないのは、「自分自身を信じることができるのは自分だけ」だから。誰かの心ない言葉に揺れず、自分の軸をブレさせず、信じた道をただ進もう。生み出したものが認められたとき、陰口に心を痛めた過去の経験が、自分の心を強く鍛えてくれたことに気づく。すべてが感謝に変わる。 (村岡浩司『九州バカ 世界とつながる地元創生起業論』サンクチュアリ出版, 2018年, p.73)” 村岡さんの著書には言葉の解説がいくつもあって、それは村岡さん独自の解釈によるもの。そのうちの「陰口」の説明として書かれたあった上記の言葉は、これからもわたしを強くしてくれるフレーズだと確信しています。 口蹄疫、火山の噴火、鳥インフルエンザ、熊本地震──…。 何度も大きな出来事を経験された村岡さん。それでも胸を張って「まちづくりが趣味だ」「好きなんだ」と言う姿からは、並々ならぬ覚悟を感じます。 好きなもの、叶えたいものはいくつあったっていい。そこに覚悟がある限り。
村岡浩司(むらおかこうじ)さん 有限会社一平 代表取締役 / MUKASA-HUB 代表 1988年宮崎の高校を卒業後、米国(COLORADO MESA UNIVERSITY/コロラド州)に留学するが途中退学し、輸入衣料や雑貨を取り扱う会社を設立。1998年には家業である寿司店を継いで寿司職人に。 現在は、タリーズコーヒーのフランチャイズ他、「食」ビジネス全般を手掛ける事業家として多数の飲食店舗を経営する一方。九州各地のまちづくり支援や、食を通じたコミュニティ活動にも取り組んでいる。 「九州パンケーキ」は、台湾やシンガポールでも人気を博し、アジア全域でのグローバルブランドとしての展開を目指す。
写真・文章:高橋奈々(@03__hachi) 編集:塩谷舞(@ciotan)