「東北のカフェにすごい人がいるから、来週、取材にいこう!」
突然デスクに現れたBAKE Inc.社長の西尾さん。「いきなり、東北……しかも来週?!」と思ったものの、西尾さんの目の輝きと、勢いになかば巻き込まれるかたちでやってきました。
新幹線で仙台駅へ。そこからレンタカーを30分走らせ、辿り着いたのは……
緑が広がる道沿いに、現れた閑静な住宅地に突如現れた「FLAT WHITE COFFEEFACTORY」!ファクトリー感ある大きなお店は、ひときわ強い存在感を放ちます。
そこで迎えてくれたのが、
「いらっしゃい!待ってたよ!迷わずこれた?」
写真左、グッジョブサインに笑顔が爽快な中澤美貴(なかざわよしたか)さん。
中澤さんは、ここ「FLAT WHITE COFFEE FACTORY」のバリスタ、ロースター(焙煎士)、シェフでありそして経営者。周囲から「ミッキーさん」の愛称で親しまれています。
実は彼、タリーズコーヒージャパン株式会社の創業者の一人。中澤さんは共同創業者とともに、1997年にタリーズコーヒー日本1号店を銀座にオープンさせました。
そこからの拡大は、誰もが知る通り。スターバックスコーヒーやドトールコーヒーと並び、日本全国でカフェ文化が花開いていきました。しかし、「これからだ!」というまさにその時、1998年中澤さんはタリーズコーヒージャパンを離れ、単身海外に飛び立ちました。
そしてここ宮城県でカフェを開くまで、14年間をニュージーランドで過ごしていたそう。
なぜニュージーランドへ? その後、なぜ東北でカフェ経営を?
THE BAKE MAGAZINEがお届けする「食とエリアのリサーチレポート」連載第一弾のエリアは、仙台。ローカル✕経営者から学ぶ、食カルチャーのつくり方をお届けします。
今回の取材班はBAKE社長の西尾さん、アートディレクターの柿崎さん、そして私、編集部の名和です。
名和:実は仙台、はじめてきました。新幹線で仙台まではあっという間だったたのですが、ここに来るまでののどかな景色を見て、やっと東北地方にきたんだなぁと実感しました。
すごく緑豊かな場所ですが……実際、こういうところでカフェを経営されるというのは、どんな感じなのでしょう?その、集客とか、利益とか……
中澤:仙台は、ニュージーランドに比べれば人が多くて、もう十分やってけますよ。私は人より羊の方が多い場所にずっといたからね、仙台の駅前なんかもう落ち着かなくって。もっと青い空、白い雲、グリーンの芝生がドーンと広がっててほしい!
西尾:そうなんですね。すごいなぁ……。BAKEはこれまで、駅近くやショッピングモールなど、人通りの多い場所に出店してきました。ですから、車で30分かかる場所にこういう大きなお店を持つというのが、憧れでもありながら、簡単に挑戦できることでもなく……。
中澤:あぁ、仙台の駅にBAKE CHEESE TARTのお店があるよね。うちのスタッフからすごく流行ってるって聞いてるよ!
西尾:わ、ありがとうございます。
名和:こうした静かな環境で、お店を中心に人の流れをつくるって、多店舗展開にはない醍醐味だと思います。でも中澤さんは、まさに多店舗展開の代表格であるようなタリーズの創業にも携わられていたんですよね。そこからどうしてこうなったのか、気になることが多すぎます…!
中澤:じゃあ28歳の時から、さかのぼりましょうか。まぁ話は長くなるから、自慢のラテ、カプチーノ、そしてフラットホワイトでもどうぞ。ミルクの泡がへたってしまう前にね!
西尾:おいしいです!
中澤:それはフラットホワイトと言って、ニュージーランドでは国民的なエスプレッソドリンクです。ミルクがとてもクリーミーなのが特徴でね……と、コーヒーについてはずっと語れるので、質問にこたえますね!
中澤:28歳のとき、銀行員として銀座で働いていたのですが、ともに独立を夢見た松田(後のタリーズ共同創業者)と二人で会社を辞職しました。
退職後、最初はエビの輸入商社などを計画していたんですよ。
名和:え、エビですか?!
中澤:はい、エビです。知ってましたか?日本人のエビ消費量は世界3位!
名和:知らなかったです……!
中澤:養殖場所としてマレーシアに目星をつけていたのですが、病気が原因でエビの養殖がうまくいかず、計画は頓挫してしまったんです。
次に構想したのはアイスクリーム。1997年、シアトルのダンケンズというアイスクリームか、タリーズ創業か。最初はアイスクリーム屋に舵をきって、スタートしかけたんです。
名和:マレーシアの次はアメリカに! しかし、ネットでコミュニケーションがとれる今の時代ならまだしも、1997年に個人で海外ブランドと契約を結ぶって大変そうです……。
中澤:はい。それに、そもそも本当にアイスクリーム屋でいいのか、と確信が持てなかった。いろいろな商材を検討しながら、市場調査もかねてアイスクリーム屋とコーヒーショップでバイトをしていたんです。
名和:銀行員から、アルバイトに!
中澤:当時「飲み会のシメにアイス」というのがブームでしたから、銀行員時代の同期が遊びにきてね。相手は銀行マン、かたや私はアルバイトですよ、なんとも言えない気持ちでした。
で、ちょうど辞めた銀行のすぐ近くにスターバックスコーヒーの日本1号店がオープンしたことを知って、「これだ!」と確信を掴みました。
名和:スタバの1号店ですか!銀座松屋通りにあるお店ですね。
中澤:はい。私たちもシアトル系コーヒーでビジネスチャンスを掴むぞ!と、松田と二人シアトルへ飛びました。日本でのタリーズコーヒー営業権の交渉に行ったのですが、それはもう、ハラハラしましたね。待機していたホテルでは出費がこわくて食事はもっぱらリーズナブルなハンバーガーばかり(笑)。
柿崎(BAKEアートディレクター):わたしも海外で働いていたので、すごくわかります。ホテルのカフェや朝食ってビックリするほど高いですよね。
中澤:そうそう、高いんだよね(笑)。1号店を銀座に!と、事前に交渉しておいた物件条件が効いたのか、なんとか締結に至りました。返事を待っていた1日半、あの時は生きた心地がしなかったですよ。
西尾:そんな交渉を経て、20年ほど前にタリーズの日本での独占契約権を得られて、すぐにタリーズコーヒー1号店を開業されたんですよね……すごいスピード感です。
中澤:大変でしたね〜。商品を整えて、スタッフもいろんな人脈を辿って協力してもらって。お店のことは全部やってましたから、しばらく寝る間もないくらい忙しかったな。
名和:日本にもシアトル系コーヒーやカフェブームが来て、これからだ!という時に、タリーズを辞めてしまわれたのは何故でしょう……?
中澤:母がアルツハイマーになってしまい、タリーズを離れ、実家の山梨に戻りました
名和:そうだったんですね。
中澤:とはいえ、タリーズ創業に全財産と言っていい額面をかけていましたから、介護に専念、というワケにもいかず……。
ですから、何がなんでも、新たなビジネスチャンスを発掘しなきゃいけない。そんな状況に迫られていました。
私が思いついたのはワーキングホリデーを使って、海外での勝機を掴むことでした。母の病気の進行が緩やかになったこともあり、父に勇気を振り絞って打ち明けたんです。父が介護を引き受け、背中を推してくれたのもあって、決意が固まりました。
名和:そうだったんですね……。ワーホリ、ということは渡航先で働いたり、就学できる長期滞在のビザがとれる制度ですね。大学時代の友人が使っていました。
中澤:今はかなり一般的になっているんですね。
ただワーキングホリデーって、年齢制限をが30歳に設定している国が多いんですよ。当時の私は30歳。その条件だと、20年前は、ニュージーランドが唯一の受け入れ可能国でした。
名和:ということは、ニュージーランド一択だったんですね。
中澤:しかも、現地に着いたのは10月。翌月11月に31歳の誕生日を迎えたから、本当にギリギリのラインでしたね。
名和:こちらまで手に汗握るような展開です……。でも、選択肢がニュージーランドしかなかったとはいえ、ビジネスチャンスとなると、やはりアメリカなんかの方が多そう……。
中澤:そうなんですよ。当時はインターネットもまだそこまで普及していないし「地球の歩き方」が頼りの時代ですよ。しかもニュージーランドとオーストラリアは薄い!アメリカは分厚いのに(笑)!!
柿崎:懐かしい!私も海外に行くと必ずボロボロに擦り切れるほど、読みこんでいました。
中澤:そうそう。で、現地では地図を頼りに毎日カフェを2軒巡って、コーヒーを飲み比べていました。
名和:ミッキーさんの、新天地へきてまでコーヒーを追求する原動力は何でしょう?
中澤:大変な思いはしたけど、コーヒーは自分にとって第二の人生、いや運命。むしろ、ニュージーランドに行ってもっと好きになったんですよ。ジャグを使って、ラテもホットチョコレートも、なんでもつくる、その技術に惚れました。
ニュージーランドのコーヒーは”ミルクで作り分ける”のが特徴。ジャグ1つで、繊細なミルクの泡をつくりわける技術に惚れこんだそう。
中澤:そうして毎日カフェを巡っていたら、「SIERRA(シエラ)」というカフェに出会いました。
コーヒーも料理も抜群においしくてね。ここで働けば、英語とコーヒーのスキルを同時に磨ける!と思ったので、すぐ履歴書をもって押しかけたんです。
名和:どうして英語を勉強中で、雇ってもらえたのでしょうか?
中澤:オーナーがイタリアからの移民で、私に似た境遇だったこともあ、想いが通じて採用してもらえたんです!
最初は無給の皿洗いからはじまった、シエラでのアルバイト。けれどバリスタのキャリアに目をつけられ、半年ほどでメインバリスタに。その後オークランドのカフェマガジンでトップ3のカフェに選ばれたことも。
中澤:皿洗いにバリスタ、キッチンの手伝い、なんでもやりましたね。しばらくすると、オーナーから「ミッキーがつくってくれ、お前の方が料理うまいから!」と言われるほどになっていたんです。
名和:すごい!そして、ミッキーって呼ばれてたんですね。……というか、食事メニューもおいしそう(サイトを見ながら)!
中澤:そうなんですよ。向こうのカフェは食事もおいしくて、今のカフェでも必ず取り入れたいと思ってたこと。ここ仙台でも、ニュージーランドに近い味を再現してるんですよ。
西尾:このお店の原材料も、ニュージーランドのものですか?確か酪農も盛んだし、乳製品もこだわられているのかと思って。
中澤:アイスクリームやチーズはニュージーランド産を、クリームと牛乳は手に入らないので、北海道産を使っています。本物を再現しつつ、よりおいしくブラッシュアップするため色々試したんですが、北海道産のものがピッタリだったね。
西尾:ニュージーランドの味を再現しながらも、よりおいしい料理をつくるために、あえて原材料は制限しないんですね。いやしかし、本当に、おいしいです……!
中澤:ありがとうございます。東京で世界一の朝食やエッグベネディクトがブームになったとき、「仙台で本格的なのが食べられる!」と口コミになって、お客さまが増えたこともありますね。
中澤:ところで、BAKEの商品は原材料もすごく限定してこだわっているイメージがありますが、いかがですか?
西尾:そうですね。創業当時は「北海道産の原材料」を大きく打ち出していましがたが、ブランドや店舗が増えて状況が変わってきました。
例えばアップルパイのRINGOなら青森のりんごがおいしい。そして、各ブランドでたくさんのバターを使うのですが……ここ数年で店舗数が急増したため、将来的には国産バターだけでは供給が追いつかなくなることが想定される状態でして。
中澤:とはいえ、安易に変えられるものではないですよね?
西尾:おっしゃる通りです。ただ、原材料を理由により多くの人に届けるチャンスを失うのは避けたい。ならば、もっといい原材料をグローバル全体で探求していきたいな、と。世界各国を探していまして、なかなか見つからなかったのですが……最近やっといいフランス産の発酵バターに出会えました。
ミッキーさんの話を聞いて、原材料と味について、本当の着地点である「おいしさ」に自信を持てたように思います。
西尾:ニュージーランドで長く暮らしていたのに、どういう想いで、ここ仙台でカフェをはじめられたのですか?
中澤:ニュージーランドにいた時、3.11の震災が起きました。ニュージーランド時代に出会った後輩がいて。小松っていうんですけど、連絡が取れなくなって心配でしかたなかった。
中澤:4日後に無事がわかったものの、津波の映像を見るたびに心が痛みました。2011年に何度か福島を訪れて小松と話し合い、日本での共同事業を構想しました。14年ぶりの本帰国、そして「ここで自分が出来る事をやろう」と決意したんです。
そして中澤さんは宮城で、小松さんは福島を拠点に、それぞれの事業を育てていきます。
中澤:コーヒーで東北を元気にする、というテーマでここを開いたんです。カフェはコミュニティがうまれるし、何より元気になれる場所って必要でしょう。
名和:今日も、本当に多くの方が車で集まって来られていますね。
中澤:今はこうして、地元の方も、遠方から来てくれるお客さまも増えました。嬉しいですね。
とはいえオープン当初は、仙台でコーヒーってまだまだマイナーだったんです。雑誌に載るようなお店もなかったですし。
でもここ数年で、東北地方で活躍している他店のバリスタたちと大会に出場したりして、バリスタ側が盛り上がると、だんだんコーヒーファンの集まりも増えてきて。確実にここ数年で変わってきたな、と感じています。
中澤:焙煎や飲み比べのワークショップや、東北エリアのコーヒー店巡りのイベントなど、お客様と一緒になってコーヒーを盛り上げられてる手応えがありますね。
名和:すごい。県をまたいでつくり手側が繋がっていくことで、お客さまを巻き込んだコーヒーシーンがつくれている……確実にコーヒーカルチャーが根付いてますね。
西尾:どうやるか、に目がいきがちですが、なぜやるのか?という理由がとても大事で。ミッキーさんのなぜやるのか=コーヒーで東北を元気にする、という想いが東北のコーヒーファンの心に火を灯したんですね……!
私たちもビジョンに共感してくださる人たちと大きな渦をつくって、製菓業界を盛り上げる一端を担っていきたいです。
名和:コーヒーに詳しくて、料理もつくれて、店舗経営も見られていると、働きすぎになりませんか?
中澤:そうなんですよ。ついつい自分で手を動かしたくなってしまうんです。
これから店舗を増やすかを考えると、シングルオリジンへの共感はもちろん、コーヒー焙煎業を中心にカフェをプロデュースしたり、オリジナルブレンドの開発など任せられるパートナーたちと出会っていきたいですね。それが理想、つまり次のステップと、現実とのギャップです。
西尾:ゼロからご自身で立ち上げられたお店ですもんね。
逆に僕の場合だと、副社長から社長になって経営を引き継いだんですね。だから僕が入るより前からBAKEを育ててきた、創業時からのメンバーが辞めてもおかしくない状況で、正直不安でした。
実際残ってくれたメンバーが多く安心しましたが、だからこそ、自分がリーダーとしてどのようにみんなの願いを実現できるのか、というのは迷うところです。
名和:創業することも、会社を引き継ぐことも、社長にはそれぞれの悩みがあるんですね……。
西尾:BAKEは多店舗展開をしている真っ只中で急速に社員が増えていて、いかにビジョンを共にしてもらうか、言葉で全部を説明するのは難しいんです。だからこうしてクリエイティブを率いる柿崎や、自社メディアを運営している名和と、「なんかすごくいい!」という場所やものを一緒に見てもらってるんです。そして記事にして、社内にも伝えている(笑)。
中澤:それ、いいですね!
柿崎:デザインの方向性にしても「こういうのグッとくる!」という言語化できないその場で感じるリアルな良さを一緒に見て、感覚の足並みを揃えられるのはいいですね。
西尾:今回はミッキーさんとお話できて、おいしさの観点や、地域に密着したお店づくりの醍醐味を学べました。ありがとうございます!
お店ひとつで、文化をつくっていくこと。 地域に根ざしたコミュニティをつくっていくこと。 何か特別な方法があるのか、どうやって集客しているのかを聞くと「お客さまが、新しいお客さまを連れてきてくださるんだよ」と返ってきた。シンプルな答えだけれど、説得力は抜群だった。 温かいコーヒーを「おいしいうちに」と、勧めてくれた。本場の味だという自慢の食事は、どれも取材であることを忘れてしまうほど、おいしかった。目の前の一杯に注がれた時間と情熱を知らずとも、味は驚くほど正直で、おいしさはダイレクトに「誰かに教えたい」という気持ちを後押しする。 「おいしいね」という、シンプルな事実を誰かと分かち合えたとき、そこが小さなコミュニティと、文化の始まりなのかもしれない。
中澤美貴(なかざわよしたか)さん 株式会社 キオラガーデン 取締役社長 1996年12月に都市銀行を退職し、株式会社ロコトレーディング(タリーズコーヒージャパンの前身)を運営。銀座でのTully’sCoffeeの経営権を取得し、1997年8月に日本一号店をオープン。 翌年ニュージーランドに渡航し、シエラコーヒーでのメインバリスタを勤め上げ、3.11の震災を機に14年ぶりに帰国。2012年5月より株式会社キオラガーデンに加わり、2013年7月に「本物を届けよう!」をコンセプトに「FLAT WHITE COFFEE FACTORY」を宮城県仙台市でスタート。 2012年より株式会社キオラガーデンの取締役社長となり、コーヒー焙煎業兼カフェ(ファクトリー)3店舗を展開し、バリスタ、シェフ、経営者として東北のコーヒーシーンを盛り上げる。
写真・文章:名和実咲(@miiko_nnn) 編集:塩谷舞(@ciotan) イラスト:春名恵
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