2013年4月16日に、原宿のアパートにて創業したBAKE。まだ店舗はなく、社員も代表の長沼真太郎さんたったひとりでした。 それから3年が経ち、仲間は300人以上に。そして実店舗は国内外16店にまで増えました。 「どうしてBAKEは実店舗を持つお菓子屋さんなのに、そんなにスピード感があるの?」と聞かれることも度々。BAKEが目まぐるしいスピードで店舗開発やブランド開発を行ってきたのは、グループ会社であり、発祥の地でもある北海道の洋菓子屋さん”きのとや”の存在があるからなんです。 実は、BAKE代表の真太郎さんは、きのとやの創業者である長沼昭夫さん(現在はきのとや会長)の息子。北海道で地元に愛される洋菓子屋さんを31年間続けてきたきたきのとやと、お菓子屋さんのスタートアップとしてオンラインや海外に挑戦中の、まだ3年目のBAKE。 これまでのことと、これからのことを、二人に聞きました。 (二人とも「長沼さん」になってしまいますので、日頃の私たちの呼び名通りに、真太郎さん、昭夫会長、と呼ばせていただきます!)
——BAKEは3周年になります。昭夫会長は、この3年を振り返ってみて、いかがでしょう? 昭夫会長:もう丸3年? 4月16日が設立記念日? 真太郎さん:はい、16日で丸3年。設立日といっても、当時はまだ北海道から東京に出てきたばっかりで、ユキさん(姉)の家に居候していた身分でしたが……。 昭夫会長:まぁ正直、BAKEがこんな風になるとは思っていませんでしたね。親が作ったレールの上を走ることより、自分でレールを作りたいと言い始めて、彼は東京でBAKEを始めたでしょう。 最初はチョコレートを自分で作るだなんて言い出して。パティシエとしての修行もしていないのに、そんなに簡単に出来るわけないよ、とみんな反対していたんです。でも、「作るんだ」と言って、東京に引っ越していった。 真太郎さん:あの時は、相当反対されました。みんなに。「お前が作るのだけはやめてくれ」と……。 ——そしてリリース前日に、チョコレートは止めよう、と判断した。 真太郎さん:はい。切り替えは速いんです。 ——(笑)。その後、写真ケーキをオンラインで注文する「PICTCAKE」が年間3万台の受注となるほど、ヒットしました。そんなPICTCAKEの製造は、きのとやで行われているんですよね。 昭夫会長:もともと真太郎がきのとやの社員だった頃に、Click on cakeというデコレーションケーキのオンライン配送サービスを立ち上げたんです。それがPICTAKEに変わったという感じなので、製造過程はスムーズだったのですが……PICTCAKEになったと思ったら、注文がどんどん増えて、工場内でのPICTCAKEの面積がみるみるうちに、増えていく。「いやぁ、売れるんだなぁ」と思いましたね。 PICTCAKEは冷凍して全国配送するけど、私はもともと、冷凍製品はあまり好きじゃなかった。フレッシュが一番だと思ってましたから。でも、急速冷凍して、半フローズンの状態で食べると、「お、美味しいな」と。
——美味しいですよね。ツイッターを見ていても「PICTCAKE、意外と美味しいじゃん!」というような反響が多くて。IT系のお菓子屋さんが始めた写真ケーキ、ということで、味よりもサプライズ重視で頼まれる方が多いからか「意外と」という声が多いのかもしれません。
——新しく登場したアップルパイ「RINGO」は、今まできのとやで販売していたものをBAKEと改良していった新ブランドですよね。 昭夫会長:そうですね。RINGOについては二転三転色々としましたね。アップルパイという商品自体は、昔から、色んな場所で売られています。そこで他と全く同じものではつまらない。どれだけ美味しくて、インパクトのあるものを作っていくか……というのがテーマでした。他のアップルパイにもカスタード入りのものは多いけど、一度焼き上げた後にカスタードを入れるようにしてみたり。
——現在RINGO池袋店は今、すごく話題になっていて。 昭夫会長:本当に良かった。ただ、池袋ですごく売れているので、北海道で販売出来ていないんですよ。手間がかかるから、1日に3,000個を作るだけでも大変。体制づくりが課題ですね。 真太郎さん:本家は北海道なのに。関東に2店舗目も作ろうとしていますが、やっぱり北海道で売らなきゃいけないですよね。 昭夫会長:今、体制作りをしている最中ですよ。
——きのとやは、北海道の地元密着型で10店舗。BAKEは「北海道発」ということを大切にしていますが、世界中に展開しようとしています。そこに、お二人の方向性の違いがあると思うのですが… 昭夫会長:私は、地元北海道の人たちに愛される洋菓子屋さんを作りたいんです。 でもそれは、きのとや一社だけの話ではありません。今から11年前に札幌をスイーツの街にしようと、「スイーツ王国さっぽろ」という活動を始めたんですよ。
昭夫会長:札幌スイーツというもの全体を、北海道の人に、そして日本全国の人に、世界の人に認知して欲しい……という思いでやっています。でも彼は…… 真太郎さん:「札幌をスイーツの街にしたい」という夢は、私たちが北海道の外に出ていくことで、より実現できると思っているんです。 たとえば、アメリカのシアトルでスターバックスが生まれた。そうして、シアトルはスペシャルティコーヒー発祥の地として有名になりました。でも、もしスターバックスがずっとシアトルだけで営業していたら、そのような状況にはならなかった。 外に出ていくことは、絶対地域に還元できることだと思っています。方法は違うけど、私なりの一番良い方法で「札幌をスイーツの街にしたい」という思いを叶えたいと思っているんです。 昭夫会長:最初はどんなもんだろうと思っていたけどね。世界中の人に知ってもらうには、彼が言うことが必要なのかも知れない、と最近は考えが変わってきました。 ——でも、真太郎さんがたった一代で同じことをやろうとしても、難しいですよね。 真太郎さん:そうなんです。 昭夫会長:彼が世界に出ていくのに、発祥の地である北海道がブレていたら、困りますよね。だから、私はやっぱり地元の方々が愛してくれるブランドをずっと続けていきたいですね。 今はBAKEのスピードが速いですからね、私たちも製造体制を整えるのに大忙しで。去年社長から会長になって、少しは楽できるかなって思ったんですが…… ——ご活躍されてますよね。むしろ、東京でもよくお見かけするようになった気がします。 昭夫会長:なんだか、仕事の領域が広がってしまった。今日は東京だし、今週は別の地方に出張で……そういう仕事も、はやく彼に任せたいんですけどね。 真太郎さん:今は完全に頼ってしまってます……がんばります。
昭夫会長:まぁ色々とありますが、それでも楽しいですよね。きのとやの創業時から、今の社長も専務も常務も、みんながむしゃらに頑張ってきましたから。BAKEと仕事をしていると、そんな創業の頃を思い出しますよ。 今のBAKEにいる、若いスタッフの人たちもね。最初からふわっといる田村さんとかが、いずれ「それはそれは苦労したよね」と言って、すごく強い仲間になっているんじゃないのかな。苦労した仲間とは、ずっと続いていくから。BAKEは強い会社になるんじゃないかな、と私は思いますね。 《参考》スタートアップに「2番目」に入社するのはどんな人?逆境を逆境と感じない、BAKEのタフなマネージャー(田村さんインタビュー) 真太郎さん:そうなりたいですね。そしてお菓子の世界は流行り廃りがあるから、今は人気のチーズタルトがあるけど、それに安心するんじゃなくて、ポートフォリオをしっかりと作らないといけない。 ヒットしたからって安心できないのは、ソーシャルゲーム業界なんかと似ているかも知れません。今も、きのとやとBAKEで色々と新商品を開発中です。 昭夫会長:チーズタルトは、ここ1年ですごく盛り上がりましたね。
真太郎さん:そうですね。でも、業界全体が盛り上がるのは良いことですよね。実はもうすぐシンガポールにも店舗が出来るのですが、まだ出店情報を公に出している訳ではないのに、「日本のチーズタルトがやってくる!」と、インターネットですごく盛り上がっていて。工事中の仮囲いに「BAKE CHEESE TART From Hokkaido」と書いてあるのを発見して、地元ライターさんが記事にしてくださっている。 まだ出店情報すらどこにもない台湾でも、「BAKEのチーズタルトはいつ来るのか?」と話題になっていたり。みなさん、ネットで見て知ってくださっているんですよね。 数年前、「海外のポップコーンが日本へ上陸する!」ということで、事前に話題になったりしましたが、これからはBAKEでそんな現象を少しずつ、生み出していきたいと思っています。 ——昭夫会長も、BAKE CHEESE TARTのバンコク店にも行かれたんですよね。いかがでしたか? 昭夫会長:北海道から遠く離れたタイの街中に、よく知ってるチーズタルトがあるということ自体が、なんだか夢をみているような感じですよね。 そこで沢山のお客さんが並んで買っていって下さる姿は、感慨深いものがありましたよ。去年は香港のお店も見に行きましたが、大盛況でした。びっくりしましたね。
—まずは最初の3年が経過しましたが、10年後。2026年には、お二人はどんな立場になっていると思われますか? 真太郎さん:僕は40歳くらいですね。 父の前でこんな大きなことを言うのは少し憚られるのですが……僕は、世界で勝負出来る、日本を代表する製菓企業を作りたい。それは、北海道で暮らしていた子ども時からの思いです。北海道には、本当に美味しい原材料があって、あんなに美味しいお菓子がある。それが世界のマーケットで勝てないはずがないと思っています。 10年後に実現出来るかはわからないのですが、1000店舗くらいの規模になって、世界中のマーケットにある数多のお菓子の中で、お客様が選んでくれるような会社になりたい。今はまだ16店舗ですが、もっともっと、より大きなマーケットで受け入れられるような会社になりたいですね。 昭夫会長:お菓子屋さんをやりたいというのは、彼は子どもの頃から言っていましたからね。 ——昭夫会長は、10年後はいかがでしょう。 昭夫会長:いやぁ、僕はもうその頃には80歳近いから。そろそろ引退させてください(笑)。でも、会長職を退いても、これからもずっと、BAKEの応援団の一人であり続けたいですね。 昭夫会長:彼は「後を継いだ」というにはちょっと形が違いますけど、やっぱり親父と同じ仕事に就きたいと言い始めた時はね、父親として、悪い気はしませんでしたよ。僕は北海道大好き人間だから、彼のように外に出ようという気持ちはなかったですが。 彼の時代だと、英語とコンピューター……今ではITって言いますかね。それが出来るようになってもらいたいと思っていましたが、彼は大学時代に「留学に行かせてくれ!」と言ってきて、フィリピンに行って、英語も少し出来るようになって帰ってきた。 自ら動けて、自ら海外とコミュニケーションをとれる経営者が、マーケットを広げていくんだと思います。今はそんな経営者がどんどん、海外へ出て行ってますからね。それはBAKEにとって必要なことだし、もっともっと積極的に頑張ってくれ、と思っていますよ。 真太郎さん:留学させてもらって、本当にありがとうございます。 昭夫会長:まだまだ3年だから、これからですけどね。日本のお菓子が美味しい、という認識は世界中にあるんだと思います。アジアからも、北海道に沢山の観光客の方がいらっしゃる。最近は特に増えたし、きのとやのスイーツも美味しいと言ってくださっています。 今は冷凍物流もどんどん進化していて、10年前に出来なかったことが挑戦できるような時代にもなっています。だから彼にはね、どんどん、北海道のお菓子を世界に広げていって欲しいですよ。 ——昭夫会長、真太郎さん、ありがとうございました! 真太郎さんは子ども時代、経営について具体的に教わることはなかったそうですが…お父さんのお菓子にかける情熱とベンチャー精神は、しっかり受け継がれているようです。 北海道と、東京。2つのお菓子屋さんが歩んでいくストーリーに、これからもぜひご注目ください。 (Text by 塩谷舞 @ciotan )
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— 株式会社BAKE (@bake_jp) 2016年6月2日