こんにちは!編集長の塩谷です。今年最後のTHE BAKE MAGAZINEをお届けします。 THE BAKE MAGAZINEでの、2015年の話題ナンバー・ワンを決めるとすれば… そうです。BAKE CHEESE TARTです。 去年の今頃には新宿・自由が丘・大宮の3店舗でしたが、今年に入ってから以下の場所に新しいお店をオープンしました。
国内5店舗、海外3店舗。合計8店舗を新設するという、社内イチの爆進具合! 海外店舗はタイ出店の記事でもご紹介した印牧さんがリーダーとして、そして国内店舗はこの人がリーダーとして進めています。 BAKEに二番目の社員としてジョインした田村涼さん、29歳。 2014年の春にBAKEにやって来た「2番目の社員」である田村さんなしには、BAKEの成長は語れません。その恐るべしタフな精神力をお伝えします。 2005年、北海道大学の水産学部に入学。現役合格したはずが、卒業する頃には25歳。北海道の山々を登り続けては山菜を採ったりスキーをしたり、寮の総長を務めたりしているうちに、気づけば7年の歳月を過ごしていたそうで……。 「お前、まだ就職決まってないのか?!じゃあ試しに、ウチに来なさい」 卒業後、山スキー部のOB飲み会でそう声をかけてくれたのは、大学の先輩であり、北海道で愛される洋菓子屋さん「きのとや」の社長でもあった長沼昭夫さん。 大学時代のほとんどを山で過ごした田村さんの生活は一転し、2012年の春からキラキラとしたお菓子屋さんで接客をする日々がスタート。しかし最初あまりにもお金がなくて、通勤のための交通費を前借りするという伝説を残したのでした。 配属された新千歳空港店で店長をしていたのは、現BAKEの代表である真太郎さん。1986年生まれで同い年の2人は共に試行錯誤を繰り返しながら、元気にチーズタルトを焼いたり売ったりしていました。
新千歳空港店で1年間一緒に働いていた2人。その後真太郎さんが「東京でお菓子のスタートアップを立ち上げる!」と単身東京に引っ越したあとは、田村さんが新千歳空港店の店長となり、スタッフを仕切る立場に。7年間の山登りで鍛えた体力と精神力は、お菓子屋さんでも次第に評価され、頼られるようになっていきました。 そんな中、東京の真太郎さんから連絡が入ります。
「2014年の春、新宿にお店を出すことに決まりました。田村さん、手伝ってもらえませんか?」 その言葉を聞いた田村さんは、「東京でひとりぼっちの真太郎さんが困っている!」と、急いで荷造り。 「拾ってくれて、育ててくれたのに、たった1年間しか働けなくてごめんなさい。僕は東京で、真太郎さんの仕事を手助けします!」 きのとや本社でそう伝えた田村さんは、真太郎さんの住む裏原宿のマンションめがけて飛行機のチケットを手配しました。 するとこんな報せが……
「田村さん、ごめん。春の出店が破談になってしまったんだ……。仕事がないのですが…東京、来ますか…?」 東京に行っても仕事がない。でも、きのとやには「東京でがんばる」と宣言してしまった。後には戻れない。乗りかかった船には乗るしかない…!
「行きます!!」 どんな生活になるかもわからないけど、田村さんはカバンひとつで真太郎さんの住む裏原宿のマンションにやって来たのでした。
東京で真太郎さんが進めていたのは、ケーキのオンライン注文サービス。これまで、ずっと店舗で働いてきた田村さんに言い渡された仕事とは……
「田村さん、HTML書けますか?」 まさかのWeb制作業務でした。でもそこはタフな田村さん。「もちろんやりますよ!」と二つ返事し、HTMLやCSS、Webデザインの基礎が書いてある本で勉強しながら、Webサイトを構築していったのでした。
裏原宿のマンションで男二人暮らし。朝8時に起きて、田村さんはサイトの構築やコンテンツ制作。真太郎さんは営業。出来る限りの仕事をして、寝る直前に15分間シャワーを浴びて、2時に就寝。そしてまた8時に起きて、すぐ仕事。 何が何でもお菓子のスタートアップを成功させたい真太郎さんは、ひたすら仕事に熱中しました。田村さんもそれについて、黙々とWebを作り続けたのです。 「いきなり、社長と二人暮しで、慣れない仕事を任されて、キツくなかったのですか?」と質問すると……
「大学時代とあまり変わらないですしね、辛くなかったですよ。あ、でも真太郎さんお酒飲まないから、真太郎さんが寝静まった頃にベッドでウイスキーを飲みながら、2chまとめサイトを読んでました。それが当時の娯楽でしたねぇ」 と、本当に楽しそうに語る田村さん、タフすぎる。ちなみに最近の娯楽は外食とHuluになったそうです。 しかし、朝から晩まで働けど、なかなか売上はあがりません。当時の昼食は決まって、竹下通りの100円均一で買ったトムヤムクンのヌードル。夜はすき家の牛丼。ネギのトッピングは「贅沢品」でした。 そんな中で真太郎さんからある提案が出されます。
「ここの家賃14万って、高すぎません? 切り詰めたい」 そこで、Airbnbを利用して、旅行者に1部屋貸し出すことになりました。原宿という立地にしては格安で、「泊まりたい」という申し込みが何件か入りました。綺麗な外国人女性からの宿泊申し込みが入ったときは、受け入れるか受け入れないかで散々議論をした結果、丁寧にお断りしたそうです。緊張感のある職場だったそうです。 そして、2013年の夏。20歳のアメリカ人男性マックが、宿泊客としてやって来ました。 そのマックこそ、BAKEの救世主。シリコンバレーでもエンジニアとして活躍していたマックは、二人のビジネスに協力してくれました。初代「PICTCAKE」のサイトをたった1週間で制作してくれたのです。 マックは宿泊客から、仲間になりました。BAKE3人目の社員として、頼れるエンジニアがジョインしたのです。
そこでまた田村さんに災難が。アメリカ留学をしていた真太郎さんと、日本語がほとんど喋れないマックは当然のごとく英語でコミュニケーションをとります。英語が喋れない田村さんは最初はコミュニケーションに苦戦していたようなのですが……
「田村さん、いつの間にか英語喋れるようになってたんですよ。マックと二人で遊びに行ったりしてたからですかね…?それにしても、吸収が早くてびっくりしました…」 2人で仲良くPICTCAKEのサイトを作る、田村さんとマック。
「マックが来てくれて、一緒に飲んだりするようになって、楽しかったですね〜あと、マックがWebを作るようになって、僕はご飯と洗濯担当になりました」
「田村さんの料理は美味かった。本当に器用な人です」 PICTCAKEの成功もあって、ここからBAKEは人が増え、店舗も増え、福利厚生も充実し、会社として整っていきました。 今、田村さんはBAKEで一番成長しているチーズタルト部署のリーダーとして、現場を指揮しながら、強い責任感を持って多くのスタッフを引っ張っています。東京を中心に、最高のタルトを提供するために全国各地を走り回っています。 数年前までは、北海道の山を登って過ごしていた人とは思えない生活の激変っぷり。 「田村さんは、山に帰りたいなぁとか、想像以上に忙しくなっちゃったなぁとかって思わないんですか?」と聞いてみたところ……
「今ね、ホントに仕事が楽しいんですよ。真太郎さんはどんどんチャレンジしていきますけど、それが彼の魅力ですから。現場のことはこっちに任せて、止まらずにどんどんポンポンやってもらいたいですね」 真太郎さんが進むぶんだけ、現場を整えていくのが田村さんの仕事。BAKEではいろんなブランドが立ち上がっていきますが、そんな中で「チーズタルトを10年先まで続く、愛されるブランドに育てていきたい」と話してくれました。 まだ設立2年半のBAKEですが、長く土地に根付いて、ずっと通いたくなるお店になるよう、こうして現場で頑張る人たちがいます。 お菓子のスタートアップ2番目の社員、田村さんのエピソードはいかがでしたか? 立ち上げから2年目のときに記した真太郎さんのメッセージもあわせて読んでいただくと、両者の視点がサイドストーリーのようになっていて、面白いかもしれません! ・「お菓子のスタートアップ」を立ち上げて丸2年。1人から120人に増えたBAKEのこれまでと、今後のミッション
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— 株式会社BAKE (@bake_jp) 2016年6月2日